①HP管理者 堀内の体験記その1
私は幼い頃から何かが恐ろしく得体のしれない恐怖にいつも怯えていました。
2歳のころ曾祖母がなくなった時に死とは何だろうかと怯えて、夕暮れの空に「飲み込まれるのでは」と恐怖を感じたり、口裂け女が急に現れるのでは、など、いつも恐怖が手を変え品を変え、攻めてきました。
中学受験に特化した教育の中で、道徳や美術・家庭科などの教科がなくなり、「良い成績を取ることや偏差値の高い受験校に合格することが正しいことで、そうでなくては間違っているんだろ」とねじ伏せられたようで、幼いながら怒りと感じていました。
中学生になると、これまで私が物差しとしていた勉強よりもそれに逆らうことが周囲からの良い評価を得られるという英雄主義のような環境に一気に変わりました。
軽度の発達障害もあったため、周囲からからかいや嫌がらせを受けて、いさかいを起こしてしまいました。
また、こうありたい私と実際の私のギャップからストレスで太り始め、女性から嘲笑を受けることも多く、「キモイ」という言葉がはやり始めて学校でも外出先でもよくそう言われました。女性に興味を持ちながらも実際の評価はひどく悪いというジレンマに陥り、やりどころのない感情を持ち続けていました。
怯えや怒りや憎しみでいつも警戒し続けながら内心では怒っていて、高校を出る頃にはひどく衰弱していました。
大学では、人の笑い声だけでなく木々の擦れ合う音でさえ吐き気がしたり恐ろしさを感じるようになり、常に背中はバクバクして、実際、常に神経を張り詰め続けていました。もはや教室や大学構内にいることさえも辛く、唯一の居場所であった喫煙所に逃げ込んでいました。
カウンセリングルームと精神科に通い始め、「自分は精神病だから」と悪い意味で居直り、休学を繰り返すようになりました。かといって療養や治療に専念するわけでもなく、ゲームやインターネットに浸っていました。
学校に行くのも、遊んでいてやるべきことから逃げ続けているのも苦しい状況が続き、でも春の復学の手続きを取る時期になると恐ろしさと予期不安で喚き散らしたくなる気持ちでいっぱいで、留年と休学と復学を繰り返すというどっちつかずの状況は続き、結局は大学を中退することになりました。
父の仕事を手伝っていた私は、そのまま父の下について働き始めました。他に従業員はいないため、お茶くみから事務手続き・会計処理など渉外的なこと以外は何とかこなせました。
そうやって仕事を繰り返して行く最中、東北の震災の報道で、死の恐怖がぶり返しました。
悩む最中、無宗派で初期の仏教を実践されているお坊さんと出会いがあり、戒律や瞑想を教わり始めました。また、東洋医学にも興味を持ち、鍼治療や、薬膳の勉強などをして自分に試して試行錯誤していました。
ただ、逃避の姿勢を続けていて恐怖を取り除くことを目的化している限り注目することになるのか、恐怖は取り除けませんでした。
また、同時期に明治文学や哲学の本を読みあさり、感傷的・刹那的な人生観に自分をはめ込むことで恐怖から逃げ出そうとしていく内に、縁起の悪い言葉が頭の中で巡るようになってきました。
不吉な言葉を認めることによって「恐ろしいことが起きるのでは」と必死に流れる言葉を微妙に頭の中で言い替えたり、打ち消したりすることで必死になっていました。
しかし、誰かに相談したら自分の症状に他人を巻き込んでしまい、自分の脆弱性や依存性、症状を膨らましてしまうような気がして誰にも言えませんでした。
疲弊してしまい、抜け毛もひどくなり風の音や鳥のさえずり、人の存在さえも全てが予期不安を起こすきっかけとなって、テレビの背景に流れる音やラジオのノイズでさえ恐ろしく、誰にも訴えることも出来ずに生きるのも死ぬのも辛いという孤立の中にいました。
ただ、それでも仕事だけは続けなければ、一生症状や不安から逃げ続けてしまうことになると思い、通い続けました。
集談会との出会い
どうしようもなくなった私は、関連図書をいくつか読んだ上で、一か八かの思いで大田集談会に出席しました。
自己紹介から淡々と会は進行していく様子を見て「この方々はとても普通で辛い症状を克服されていたのだろうか」「もしかしたら自分だけが特別に悪いのでは」と半信半疑のまま、何となく集談会に出席したりサボったりを繰り返していました。
今にして思えば、集談会にきちんと毎回出席して何かしら仕事を行った方が、早く治ったのかもしれませんが、当時は症状を相手にすることに必死で、周りを見る余裕がありませんでした。しかし、毎回「出席しませんか」とメールでお気遣いいただき、ここまでしていただいて出席しなければあまりに不義理ではと思い、徐々に出席する頻度は増えてきました。
不吉な言葉が止めどなく流れていても現実的な思考を行うために、会社の資金繰りを必死で考えたりして、とにかく生活の流れを進ませました。
準基準型学習会へ
それから、先輩会員の方から横浜の準基準型学習会に通うことを勧めていただきました。最初は会場まで行くことさえも予期不安で恐ろしかったのですが、そこまで勧めてくださるという事には何かあるのだろうなと思い、参加しました。ただ、いつも乗らない電車に20分乗るのを考えただけで不安が出てきます。それでも、日記指導を受けたいのもあり、
こぶしを握り締めながら外の風景を見つめているうちに気持ちが流れて、電車に乗り会場へ通いました。
学習会の日記指導では、みっともない失敗をしても「そこからどのようにできるか」という建設的なご助言をいただいて、不安について不問にしていく姿勢と同時に、悩みに寄り添っていただくコメントをいただき、心強い支えになっていただきました。
そして日記にあれを書こうこれを書こうと日中に思っても、いざ日記を書く時になればどうでもよいことだったな、と身に染み、世の中の大抵のことは流流れていくことであり、大した問題ではないことにも気づかせていただきました。
・疾病利得
また、各単元の学習を通じて受講者の方々が感じたことを発言されるのを聞いていく内に、気づきが深まっていきました。特に今でも思い出すのが、「私の症状は疾病利得なのでは」というような内容の発言でした。そこで、誰にでもある恐怖や不安を症状・病気ということにして大事にすることで現実の日常生活や社会生活から逃避を重ねていることに気づきました。目から鱗が落ちる様でした。
それから少し時が過ぎて、実家の犬がかなり弱っていることを知り会いに行くと、目も見えないようで、周囲を嗅ぎまわりながらヨタヨタと歩き、私だと分かると腹を見せるのですが、横になるのも一苦労で息をするのがやっとのようでした。
それを見た私は、誰にも見つからないように声を潜めて泣きました。「こんなになるまで自分の症状にかまけて周囲を気にもかけず自分の気分本位に逃げ続けて」と自分のふがいなさに涙が止まりませんでした。
日常を丁寧に
日常の生活を大事にするよう「まずは見つめ感じる」を第一にと、症状を相手にし続ける生活から何とか抜け出そうと踏ん切りをつけてようと決めました。
トイレの汚れを見て、こんなに汚くしていたのかと恥ずかしく思い磨きました。気付くと流し台も汚いので、外出が嫌と考える間もなく洗剤をドラッグストアで買いそろえキレイにすると、気持ちが流れて行くのを感じました。
それからは、生活の基礎である、爪を切ったり顔を洗ったり、ご飯を食べたらすぐお皿をきちんと片づけたり、掃除や片付けなど、普段の生活、今・ここ・自分に集中し、出来る事を出来る時にやるという生活をひたすら繰り返しました。
不安や症状はそのままにしておくのは恐怖でしたが、森田療法で今まで多くの人が治ってきたのだからといっそ騙されてみるかと、取りあえず目の前のことを一つ一つビクビクハラハラしながらこなしていきました。
そうして生活が流れ始めていくのですが、一進一退で駄目な日もあり、不安は手を変え品を変え色々なところから攻めてきて、さぁ怖がりなさい、恐ろしがりなさい、何々だったらどうするの、と手招きをして恐怖を恐怖するというループに何とか持ち込もうとしてきますが、それでも一つ一つ丁寧に、常に予期不安や死の恐怖は付きまといながらも、取りあえず棚に上げて今はこれだけと目の前のことをこなしています。
私の神経症の元となった誤った認識は、いじめや恐怖感や病気を理由にして現在ある生活や仕事をおろそかにして、不安や症状を取ることに執着することにより、却って不安を大きくしていたことです。症状を相手にすることにより、不安や症状というのは肥大化していくように思えます。それによって実際の社会生活から逸脱して観念の世界に入り込み、ますます症状を悪化させました。
また、実際にあるちっぽけで弱い自分を見ないようにしていたため、自分本位で自分を守るための頭の中でやりくりすることに必死で、周囲への批判や自己保身を自分の脳内で一人チャットのように繰り返していたことで自分を窮屈にしていました。
先のことは不安定なことばかりですが、取りあえず目の前の与えられたことを一つ一つ丁寧にこなしています。無論、常に予期不安は付きまといますが、それよりも、今どうするかに専念しています。
今までやるべきことをなってこなかった自分を突き付けられているような気持ちを抱えたままその場その場で今の自分に与えられた、やらなければならない事というのがあります。それを一つ一つ仕留めることで、よどんでいた生活が流れ始めました。
今にして振り返ると、症状と言うのは気弱で声だけ大きいいじめっ子みたいなものだと思います。大きな声で色々言ってくるけど、勇気を振り絞って不問にしていく内に声が小さくなっていきますし、「僕は現実で今やる事をやるんだよ。忙しいんだよ。」とこちら側が居直っていけば、なりを潜めていくように感じます。
②HP管理者 堀内の体験記その2
仕事と普段の生活を自分なりに誠実に一所懸命に症状を引きずりながらもやることで、症状を徐々に手放せるようになってきて、普段の生活をそれなりにこなせるようになりました。
しかし、自宅の部屋は散らかっていて、マッサージや強壮剤、漢方薬、鍼、などでお金も散財していて、症状の時の言動や行動によって友人知人とも接点がなくなり、近所でもたまに嘲笑を浴びせられるなど、問題はまだまだありました。 また、今までの人とのコミュニケーションや仲間づくりをしてこなかったことや仕事の能力、経験不足を自分の中で痛感しました。 その原因は学生時代のいじめなどの理由や周囲の環境はどうあれ、症状を含めて自分が作ってしまったものに感じました。
何にも言い訳できず自分で引き受けるより仕方なく、まだ疲れきっている状態でしたが、腹をくくって、一つ一つの事をこなして毎日の生活を進めていきました。 家の外に一歩出ればビクビクして、車のライトや笑い声、人と目が合うだけでビクッとしてしまい、ビクッとしたことで笑われたような気がしてまたビクッとなりました。スーパーに行けば同世代や自分より年下のカップルがいて落ち込みながら食料品を買ったり、落ち込んでうなだれながら一つ一つこなしていきました。 しかし、その根底には、「こんなザマで終わってたまるか!」「 一度も青春のようなことがなかったから今から青春してやる!」という強い気持ちがありました。強くなりたい・カッコよくなりたい・歌がうまくなりたい・仕事がもっと出来るようになりたいと2017年の神奈川準基準型学習会を受講させていただいてから蓋をしていた自分の欲に気付き始めました。
変わることの希望とそれを叶えるには相当の努力が必要になることにためらいながら、ろくに何も持っていない・経験もろくに積んでいない私がまずはじめたのが、あいさつです。集談会でも仕事の業者さんコンビニやカラオケの店員さんでも、誰に対してでも努めて笑顔で挨拶するように心がけました。今思うと笑顔もぎこちないし挨拶の声も裏返ったり大きすぎたり変だったかもしれませんが、返されなくてもとにかく続けました。 それと同時に見た目をよくすることも始めました。ダイエットや肌のケア、服のコーディネートし始めました。 見た目を変えることは、このままだと一生人様をうらやむだけで終わってしまうのが嫌だったのと、モテたかったからというのも大きいです。今まで「女性には興味ない」ふりをしていたので、そこから本当は女性と付き合いたいという気持ちに気づいてからは努力しています。
コロナ下で気づいたイラつき
それからコロナが蔓延してきて、仕事以外自宅にいることがほとんどだったのですが、テレビや人の話し声にイライラすることが多くなりました。家事をしていても通勤中でも、自分ではもっともらしい理由を立てては周囲に対して苛立っていました。 しかしその怒りはもっともらしい理由があっても、自分に緊張感や焦燥感などのダメージを及ぼし続けていて、しかも、冷静になると自分がいつもイライラしてばかりいて、自分が悪感情の元となるものを身口意で作り続けていたのではと思い、その酷さにゾッとしました。「こんな怒っていたらいつか落ちるところまで落ちる」「正しいと思えばどんなひどいことでもやってしまうような人間になってしまうのではないか」と思いながらも、止まらない苛立ちの自動思考が続いていました。
ただ、「怒りの感情や思考はどうにもならない」「感情に飲まれないように頑張れば行動や言葉は変えられる」ということに気づいて、言葉や行動を出来る限り人に優しくまろやかな方向へ少し変えて、また笑顔で接するようにしてみました。 感情や思考は過去に自分で作ってしまったもので、その自分で責め苦を受けるしかない気がします。正受不受という言葉を頼りに自分のふがいなさを引きずりながら、「また毎日を進めるたびに変わってくるだろう」とあまり構えずに、毎日会社へ行って仕事して帰宅するようにしました。感情を変えようとすると思考の迷路に入ってしまうことは神経質症の時に経験しているので、まず、部屋の片付けを徹底的にはじめました。部屋には枯らした植木鉢、冷凍庫の奥に溜まったゴミ、壁に染み付いた汚れ、空気清浄機のホコリ、賞味期限の過ぎた保存食などの不要物や汚れがいっぱいあったので、その処理をし始めました。いらない服は区のリサイクル回収に出し、いらなくてお金になりそうなものは売りに出しました。行動しつつ、悪思考は流れるままに否定も肯定もせず、悪思考を考えている自分にも言い訳をしないで過ごしました。 それと、悪意から出る言動や行動をしないように心がけました。自分を大きく見せたくて人様に対して高圧的な発言や、遠回しな言い方、行動、自慢、目線、態度をなるべく慎むようにしました。具体的には仏教の八正道にある、不悪口(悪口を言わない)・不妄語(事実でないことを言わない)・不綺語(余計なおしゃべりをしない)・不両舌(その場にいない人の悪い話をしない)、不邪淫(道理にかなわない恋愛をしない)・不殺生(殺さない・傷つけない)・不偸盗(与えられてないもの、権利がないものをとらない)を支えにしました。 また、外出自粛が続く間、筋トレや見た目のケア、歌の基礎練習は続けていて、学生時代にやっていた日本拳法という格闘技の基礎練習も体をほぐす程度にやっていました。
代表幹事に
ちょうどその頃、代表幹事をやってみないかというお話をいただきました。余計に仕事は引き受けたくないのと、何かやってみたいという2つの気持ちがありましたが、やれるだけやってみようと代表幹事の仕事を始めました。事務的な処理、派遣講師の方へのご連絡、ブロックへの報告、ホームページの作成、集談会内での報告・連絡・相談など、分からないことだらけで、その上どこまでが人に聞いていいのか、自分だけで処理しなければならないことなのかの判断材料もなく困っていました。特に苦手なのがメールです。早く送ったほうがいいのに、後伸ばしにして悶々とする時間が長くなってしまうことも多々ありました。コロナに伴う会場の変更やZOOM開催への切り替えや、初回者の方への対応や細かい多くの経験は物事を処理する能力や様々なことへの対応力の基礎になりましたし、自分が動かないと集談会が開けない状況は「症状にかまっていられない」「常に何かしら働いている状態」となり自分にとっては目的本位の行動や、多少の言葉のすれ違いを気にしない、芯にもなりました。もう一つ気づいたのが集談会のシステムです。個人的な解釈ですが、支部委員・代表幹事・会場係・会計・レクリエーション・お茶係など、それ自体がかつての森田先生の入院の作業療法であり、こなさなければならない個々人の仕事そのもののような気がしますし、自分の居場所である集談会を維持ということでもあるのかなと思います。 代表幹事も何度も辞めたいと思うことがありますが、中途半端に辞めたら、また、逃げ続ける人生に戻ってしまうような気がして、なんとか続けています。
コロナのあと
コロナが5類になってから夜の飲み屋が開き始めました。どこまで今の僕が夜の街で通用するのかと思い、人並みにできることといえば歌うことだったので、カラオケバーを色々とめぐってみました。緊張とコミュニケーション能力不足でなかなか人との触れ合いはうまくいきませんでした。
馬鹿にされることや笑われることも多かったですが、通じ合える人もいました。とあるカラオケバーで大切な出会いがありました。店員のY君とR君です。Y君は学生時代に色々と苦労をしたらしいのですが、一時期ホストをやっていたり今もバーで真面目ながら楽しそうに働いていて、いじけてとどまっている自分を見抜かれて、こちらのメンツも考えてくれつつ、卑屈な自分に色々と女性の口説き方や恋愛相談も含めてアドバイスしてくれました。
また、R君は細マッチョでユーモラスながら、向上心の塊のような人で、一緒に飲みに行ったり、目標を語ったりしました。その二人からは、かつて自分も持っていたけど忘れていた熱意や向上心に火をつけてくれました。
また、夜の街は真面目だけでは通じない面もあり、凝り固まった自分に、楽しむことや、調子に乗る、いい加減さ、そしてなによりバカになるときはバカになることを体得するいい機会にもなりました。 1人で飲んでいると嫌がらせや悪口はよく言われて嫌なことも多いですが、それを飲み込むことで、少しずつ器量が大きくなっていく感じもしています。また分かってくれる人は分かってくれるし、自分なりに症状への執着が取れてからはなるべく真っ当に生きている自負もあり、いちいち気にしないようにもなれました。
最近は
毎日筋トレ、ストレッチ、発声練習などを欠かしませんし、頭皮のケアも始めました。もっと強く、筋肉も分厚く、かっこよく、歌もうまく、情け深く、度量のある人になりたいです。また、昨年末にある方から、やればやっただけ得だという話をしてもらったのが腑に落ちて、何となくトレーニングジムにも通いはじめました。Y君もカラオケバーの店長になり、R君も毎日、ダンスや発声、筋トレとCDを出す目標に向かって頑張っています。勝ち負けではありませんが、彼らに追い越されて情けなくならないように、生きていきたいです。
色気 堂々 主張
新しい気づき
相変わらず、人の視線や評価に怯え、侮蔑に怒ることもできない、孤立に泣いて、仕事に煮詰まったら喚きたくもなり、「なんで僕ばっかり」と不満に思うこともあり、人を妬んで恨んでしまうこともある、弱い自分ではありますが、それをごまかしたりうわべを取り繕うことを減らし、目的に食らいついていき、それがなくても目の前のことに今はこれだけと手を伸ばしています。
これからもとりあえずは弱いまま・内気・小心者な部分もある自分をごまかさず、やっていこうと思います。
神経質症やその後の生活でまなんだ新しい認識
世の中難しいことは多いですが、個人の生活で言えば、飯・風呂・寝る・仕事・家事、など文字に起こすと簡単なことでできているなと感じます。あまり自分に期待過剰にならず、生活にずるずると流されて毎日をこなしていく。このことが大切かなとも思います。
それらを進めていくことが生活であり、生活の他に何もない・誰も何も隠していないような気がします。
本当はまっすぐ一本道の人生を、怒りや妬み虚栄心不安や怯え、卑屈、忖度などで自分から迷路に迷い込んでしまい、人生の遠回りをしてしまったような気がします。
これからはなるべくまっすぐに人として人の道を外れず歩んで生きていこうと思います。
最後に
各場所で、色々なことを実地で体験して、症状の軽快だけでなく、自己内省・反省・経験・成長を促していただきました。お世話になった皆様・ご縁のあった皆様に感謝しております。そして今後ともよろしくお願い申し上げます。
